第九話










朝。

玄関を出た途端聞き耳と出くわしてしまい、不本意ながら一緒に登校してきてしまったロックウェルはいつもより少し遅れて教室に入った。教室の前の時計を確認すれば、まだホームルームまでに時間がある。途中腕を組んでこようとしたり、抱きついてきたりする聞き耳を殴打するのに時間をくってしまっていたので遅れたかと思っていたが、どうやら間に合ったらしい。皆が揃って椅子に座り、前を見ている中に遅れて入るのはあまり気分のいいものではない。

間に合ったことに安心し、声をかけてくるクラスメートに適当に挨拶をする。隣の席のロベルトの姿が見えないので、ふと教室内を見渡せば、いつも一緒にいる連中がエミリオの机の周りに集まっているのが見えた。

「あっロックウェル!おはよー」
「おはよう、フレデリック。お前ら何やってんの?」
「うん、それがさ……」

フレデリックが眉を上げてエミリオをちらりと見やる。皆に囲まれ、自分の席でうつむくエミリオは負のオーラを最大限に発し、この世の終わりのような顔をしていた。重たい空気のかたまりが肩にのしかかっているかのように、ガクーンと肩を落としたエミリオがロックウェルに気付いて目線をあげた。

「あ…ロックウェル……おはよぉ〜……」

目の下にくまを作ったエミリオは力なく言葉を発した。

「なんだよ、お前すげー怖い顔してんぞ」
「なんかね、お金取られたんだって……」

魂の抜けているエミリオの代わりにフレデリックが気まずそうに答える。

「取られたぁ?」

ロックウェルの疑問の声に、フレデリックが首を傾げた。どうやら詳細までは聞いていないようだ。
とにかく、お金を取られたらしい。この話を聞いて一番怒りをあらわにしていたのは、エミリオのことが大好きなアンであった。

「許せない!それでなくても貧乏なエミリオからお金を巻き上げるなんて!エミリオ、私がいるからにはもう大丈夫よ。詳しく話して御覧なさい?」

心なしか目が生き生きしている……。

アンの言葉にエミリオは小さく頷き、ぽつぽつ話し始めた。経緯はこうだ。





エレーヌの誕生日が近いと言うことで、エミリオは近くの大型デパートにプレゼントを探しに出かけていた。彼らは付き合ってちょうど一年近くになる。そろそろ指輪なんかをプレゼントしたいなーなどと考え、今年は奮発してバイト代を卸してきていた。お嬢様育ちのエレーヌなので、指輪を買うのならやはり高級なブランド物でないと、と考えたのである。普段めったに物をねだったりしないエレーヌなので(且つエミリオが貧乏だと知っているので)、今回の自分のプレゼントに一体どんな顔をするだろうと、想像しながら通りを歩いていた。
にやにやと妄想しながら歩いていたため、前から来た二人乗りした自転車に気付かなかった。エミリオがハッと気付いたときには、その自転車はエミリオを避けようとして、すごい音を立ててガードレールに激突していた。

「す、すいません。大丈夫ですか?(……そんなに避けなくても道空いてたような…/汗)」
「いててて……」

恐る恐る声をかけるエミリオに自転車の前に乗っていた男はよろよろと立ち上がった。頭をさすりながら、自転車を起こそうとすると、まだそばでうずくまっている彼の相方がいた。

「あの……彼は大丈夫ですか…?」
「……はっ!!……ジョルジューー!!!」

彼は大音量で相方の名前を呼んだ。周囲の人が振り返り、エミリオを避難がましい目でじろじろと見ていった。エミリオは挙動不審に「俺じゃない」と手を振ってアピールしようとしたが、ぶっ倒れた男とそれを心配そうに支える男の横に、おずおずと居心地悪そうに立ち尽くす男がいれば、誰がどう見てもそいつは加害者に見える。
男は倒れた相方を抱え上げ、大げさに揺さぶった。

「ジョルジュ!大丈夫か!?」
「あ……兄貴……俺…っ」
「しゃべるな、ジョルジュ!!」

「…………(汗)」


なんだかまずいことになった、とエミリオは思い始めた。しかし、見た感じではジョルジュと呼ばれた男はたいした傷を負っているようには見えなかった。少し上に着ているシャツが汚れたかな、程度である。確かに転んだときすごい転がり方はしたけど……。
だが、蹲ったまま動かないところを見ると、もしかしたらものすごい打撲を負ってしまったのかもしれない。

「……あんた!どうしてくれるんだ!!」
「えっ!?俺ですか!?(汗)」
「あんた以外に誰がいるんだ!あんたがボケッと歩いていた所為で、ジョルジュが……ジョルジュがこんな目にィィ!!」

男は黒い瞳に涙をたたえてエミリオに訴えた。
絶対あんたの運転の仕方のほうが問題あるよ……とは思っても自分にも確かに悪いところがあったのでエミリオはしぶしぶ謝った。

「す、すいません。えっと…今度から気をつけます。あの…お大事に。じゃ、そういうことで……」
「って待て!慰謝料も払わない気か!!」
「えぇー…だって転んだだけじゃないですか!しかも俺歩行者ですよ!普通、歩行者は加害者にはなり得ないでしょ…(汗)」
「何だと?……ん?何だ、ジョルジュ。どこか痛むか?」
「あ…兄貴……足が…」
「どれどれ……!なっ……ぽっきり骨折してるじゃないか!!!」
「(何ぃいーーー!?/汗汗汗)」
「ジョルジュ…かわいそうに。痛いだろう……。と、いうことだ。さぁ、きっかり慰謝料払ってもらおうか…10万円!!」



……………。




「……というわけなんだ」

エミリオが話し終えると、周囲に引きつった沈黙が降りた。
アンはここぞとばかりにエミリオの肩を優しく撫でた。

「エミリオ…大変だったわね。でもそれってきっと、エレーヌに誕生日プレゼントをあげるなって言うことなのかも!!」

心配しているように眉を下げて言うアンだったが、その表情は嬉々としていた……(笑)。

「……ちょっと待てよ(汗)それより慰謝料とかってさぁ、そんなすぐ決まらないだろ。よくわかんないけど、普通事故ったらまず警察通して、それから医者じゃないのか?」

ロックウェルがもっともなことを言うと、フレデリックやロベルトも確かに、と頷いた。だが、エミリオはどよーんとしたため息を吐きながら小さく首を振る。

「それが……その人、警察官兼医者だったんだ……」
「(警察官兼医者ーーー!!??/汗)」
「ちゃんと警察手帳みたいなのとか持ってたし……」
「……(汗)」

うさんくせぇ……。その場にいた誰もがそう思った……(汗)。







一限目は担任のトート先生の国語の授業だったが、その時間はホームルームに当てられた。というのは、明日は球技大会であった。そのために、誰がどの種目に出るかを決めるのである。
トート先生は球技大会という汗臭い行事にはまったく興味がないらしく、ホームルームの進行を学級委員長のキッドとアンに任せていた。相変わらず教師とは思えない。
ちなみにトート先生は夏休みのラジオ体操のときでも真冬のマラソン大会でも、もちろん球技大会のときも、どんなときでもスパンコールの黒装束を脱がないのである。そして彼の国語の授業では、正規の教科書を使わない。何をするのかといえば、陳腐などこぞの官能小説をお気に入りの生徒に読ませるのである。そのためフレデリックは国語の授業の際、度々脱走していた。

……それはともかく、しっかり者のキッドとアンによって、各種目に出場する生徒が着実に割り当てられていた。
並外れた運動神経を持つロベルトはキッドの独断で全ての競技に出場させられることとなった。

「あー最悪だー明日休もっかなー」

愚痴をたれつつ、ロベルトは机にドカッと足を乗せた。文句を言いながらもこういうときに彼は絶対に休まない。なんだかんだ言いつつ、頼られるのはうれしいのである。

「……俺も休もうかな…」
「フレデリック……お前ドッヂボールだけだろ(汗)」

本当に休みそうなやつはこいつであった。ロベルトに剛速球のボールをぶち当てられて以来、彼の中で大きなボールに対する恐怖は増していた。
ロックウェルの言葉にフレデリックはふるふると首を振ってうな垂れた。

「やだよー…ドッヂなんて絶対突き指するもん……。俺一回骨折したもん……。あ、そうだ…兄貴を変わり身で出させよう…」
「…………(汗)」

「はい、じゃぁ〜ドッヂで外野やりたい人〜?」


黒板に外野と書き込み、クラスを見渡してキッドが言うと、机に突っ伏しうなだれていたフレデリックがガバッと起き上がった。

「はい!はいはいはい!!」
「じゃぁ、まずフレデリック、と…」

めちゃめちゃ右手を高く上げ主張するフレデリックの名前をキッドが黒板に書き込んだ。
……幼稚園児か!というツッコミをロックウェルは何とか喉の奥でおさえた。例え突っ込みどころが盛りだくさんでも、ロックウェルはフレデリックには滅多な事は言わない。

「あーよかった!俺外野なら大丈夫!」
「外野の方が責任重大だぜー」

ロベルトがニヤニヤしながら言えば、フレデリックは大丈夫、とピースサインをつくる。

「俺、早いボールは取れないけど、ゆっくりなボールなら取れるもん。それに、意外に力あるし」

フレデリックが右手に力を入れると、そこには彼の華奢な容姿からは想像つかないほどの硬い筋肉があった。

「うぉっほんとだ!痩せマッチョってやつ?」


彼に似合わぬその筋肉は、いわば護身のためである。というのも、彼の兄、フィリップは常日頃からフレデリックの部屋に夜這いに来るため、迎撃策として彼は夜な夜な筋トレに励んでいた。それでも兄が大好きだと言うのだから彼も変わり者である。

「待て待て、俺のが絶対硬いって」

自分のプロポーション磨きには余念がないロックウェルが週四回のジム通いで鍛えられた肩筋を見せる。モテる男は秘かに努力していたらしい。
守られポジションのフレデリックに負けるわけにはいかない。

「むむっこれはいい勝負ですなぁ〜」

互いの筋肉を見せあいっこしてわいわいと騒がしいロックウェルたちとは対照的に、エミリオはまだ消えた大金を悼んで沈んでいた。ちなみに彼もなかなかに運動神経がいいので、全ての競技に参加することになっていたが、本人は上の空状態でそれに気付いているのかは疑問である。

「エミリオ……かわいそうに」
「もともと金ないっていうのに、一体なに買うつもりなんだろな」
「いやいや、プレゼントは金じゃないぜ!」

そう豪語するロベルトは、以前イサベルの誕生日に肩叩き券を大量にプレゼントし、ドン引きされたという過去を持つ。









翌日。日射病にでもなりそうなほど晴れ上がった空の下、球技大会の開会式が行われた。
まだ年若いが、校長であるフランツ先生がこそこそとカンペを見ながら長ったらしい話をする。もちろん誰も聞いていない。
ちなみにこの学校は全学年合同で、1組、2組、3組という3つのくくりで競技を競い合う。2組であるロックウェルは、選手宣誓の際3組代表で出てきたエドガーにひそかに闘志を燃やしていた。

午前中に行われたドッヂボールはかなり白熱した結果となった。
フレデリックの筋力は伊達ではなかった。内野が外野のフレデリックに緩くパスを渡す。相手チームはフレデリックの容姿を見て、大したことないだろうと油断するのだが、次の瞬間ミサイルのような剛球をくらい、次々に相手チームのメンバーは外野へと送り込まれていった。

だが目立っていたのはフレデリックだけではなかった。普段はこのような皆でわいわいやる行事には適度に参加し本気を出さないロックウェルだったが、今日の彼はいつになく真剣で、相手チームの放ったボールはほとんど彼がキャッチし、フレデリックにパスしたり、自ら相手チームにぶん投げたりしていた。そのたびにクラスの女子からはきゃぁきゃぁと声が上がった。運動神経のいい者はそれだけでも魅力的に映る。ましてアイドル的存在であるロックウェルに、自分に向かって投げられたボールをかばうようにキャッチされれば、それは彼女らの中では最高の喜びなのだ。

ロックウェルが必死になっている理由はもちろん、相手チームに憎きエドガーがいるからであった。

「よっし……あとはあいつだけ!!」

3組チームの内野はエドガーと数人の女子のみになっている。チャンス!とロックウェルは目に炎を燃やした。

――女子だけ残して戦線離脱なんて格好悪ぃよなぁ、エドガー!

……不適に笑う彼は完璧にキャラを履き違えている。

受けたボールをしっかりキャッチし、エドガーに狙いを定める。一触即発のにらみ合いが数秒。大きく勢いをつけてロックウェルがボールを放った。が、エドガーはボールの勢いで30センチほど後ろに滑りながらそれを受け止めた。そして、顔を上げロックウェルに、にやりと笑って見せた。

「!!(何ィィーー!?俺かっこわる!!/汗)」

今度はエドガーの番である。ロックウェルは身構えた。全身に緊張が走る。
こんなに緊張したことがここ最近あっただろうか。高校入試の結果発表のとき以来ではないだろうか。いやでもあの時は既に滑り止めに受かってたからここまで緊張しなかった。あぁ、あれかな…初めてできた彼女を自分の部屋に呼んだときかな……あの頃はまだ俺も若かったな……そんなことを考えられるほど、彼はある意味落ち着いていた。周りの空気が止まっているように感じる。
一歩、エドガーが動いた。

――心の目で…見る!!

カッと目を見開き、彼は宇宙と一体になったのを感じた……が、その時。



ピィーーーー!!!



「…………」

無常にも試合終了の笛が鳴った。…………。